いやー、この世は厳しい。
何に厳しいかって、無気力な人間に厳しい。
しかも、恵まれた環境にいる人でも、実は毎日苦しんでるあたり、マジ人間に生まれたことを呪うしかない。
俺だって、幸せになるボタンが目の前にあったら押したい。要するに、何の苦労もなく幸せになれるならなりたい。
ただ、幸せな人はそれなりに積み重ねている。だから、なんで私だけ幸せになれないの?なんて訳の分からないことを言うつもりはない。なんでもクソもない、わかり切っている、努力していないからだ。
じゃあどうするか。
答えは簡単です。それなりに程度が低い人間が集まる集団に身を委ねてしまえばいいのです。ようは、それをする勇気がないんですね。
ダラダラと無為な時間を過ごしながら、外力によって、もはやそこにいられない状況に追い込まれるのを待っているのです。
追記
メッセージ一覧 | 自殺と向き合う 生き心地のよい社会のために | NHK福祉ポータル ハートネット
↑のサイトを見ていて気が付いたことがあります。
それは、比較的恵まれた(少なくとも傍目には不幸に見えない)環境にいても、生きづらさを感じている人って実は多い、ということです。
そういう人の文章って、「こんなに恵まれている自分がこんなこと言うのは申し訳ないけど、」的な言葉がどこかに入ってるんですよね。
そして、その謙虚さというか、優しさというか、空気読んじゃうところが、生きづらさの原因ではないかと思います。同時に、そんなことには自分でも気が付いているんだと思います。でも、考え方ってそんな簡単に変わるもんじゃない。
「考えすぎだよ、って言うのは、キミ太ってるよ、というのと同じようなもん。何のアドバイスにもなってない」とオードリー若林さんは言っていましたが、それに近しい問題なのかもしれません。
かくいう私もそういうタイプです。私もだいぶ恵まれていると思います。境遇云々もそうですが、それ以上に、何かあっても、自分は恵まれていると思えるその性格が恵まれていると思います。
でも、恵まれいるから生きやすい、幸せだとは限りません。お腹いっぱいなのに次々と食事を出されたら困ります。内心NPCとしか思っていないような人に優しくされたら心苦しいです。