そう簡単に人生変わらんよ

モラトリアムを拗らせた中二病おじさん。

寄付と幸福度

こんばんは。のりゆきです。

昨日はお正月からクソ記事をあげてしまったこと、僅かに反省しております。

 

さて、今日は少し真面目なお金のお話です。

子供はお財布が潤い、大人は枯れる魔のお正月。

私はというと、もう24歳にも関わらず親戚の皆々様からお年玉を頂戴いたしました。いやね、就職するまではお年玉もらえるのが海苔沢家のルールなんですよ。ありがとうございます。

 

さて本題ですが、「募金をしている人は幸福度が高い」ってどこかで聞いたことありません?

幸せとお金を扱った本には大抵書いてありますよね。よく覚えていませんが、海外の有名大学の教授が発表した論文が大元だったと思います。

本来であればこういうのは元論文をあたってから話すのが筋ってもんですが、あいにく私はお金にも幸せにも大して興味がないのでそんな面倒なことはしません。悪しからず。

 

「募金をしている人は幸福度が高い」

これを見て多くの方は、

募金をすれば幸せになれる

と思ってしまうのではないのでしょうか。100%違うとは言いませんが、個人的には違う気がします。たぶん原因と結果が逆です。

「募金をしたから幸せになれる」のではなく、

「自分が充分幸せだから、募金をする心の余裕がある」のです。

 

 

数学で言うと、必要条件・十分条件というお話ですね。Aを満たす人の集団にBが多かったからと言って、AならばBであるとは限りません。BならばA、またはCならばAかつBの可能性もあります。

募金は良いことですが、そこを勘違いすると逆に神経すり減らしちゃいそうなので気をつけてください。どこかの誰かの幸せを願うことも大事ですが、あなたも大事な72億人のうちの一人だということを忘れないでください。

ただ、もちろん完全な一方通行ではないと思います。募金をすることによって心が満たされている側面もあるとは思います。

スポーツの例を出すと、箱根駅伝常連校にはそもそも優秀な学生が集まってきます。加えて、指導者やチームメイトその他諸々の環境にも恵まれています。

ここで、「才能のあるやつが集まってるから強くて当然」「環境が整っているから誰が来たって一流に育つ」などと言い切ることは当然できません。

同様に、「募金をしたら幸せになれる」とも「幸せな連中が募金してるだけ」とも言い切ることはできません。

世の中には断定が溢れていますが、現実はそんなはっきりと線引きできるものではありません。

私は何かの啓発活動をしているわけじゃないので曖昧なことを言っちゃうんですが、

「断定した方が説得力がある」というのは紛うことなき事実です。

 

余談ですが、

ラジオ・チャリティ・ミュージックソン2018まだまだ募金受付中です。

 

トップページ

http://www.1242.com/musicthon2018/

 

私もお気持ち程度に募金させていただきました。こういうのは継続が大切なのでしょうが、思い立った時にやるだけでもやらないよりはマシでしょう。そもそも続けるのはニッポン放送やどこぞの大富豪のお役目だと思います。たかだか一リスナーの私は、毎年入れ替わるその他大勢の中に入るだけで精一杯です。

ちなみに、ミュージックソンの「ソン」はマラソンmarathonとかハッカソンhack-a-thonとかのソンthonだそうです。日本語で言うと強化月間的なニュアンスですかね。

 

募金方法

http://www.1242.com/musicthon2018/howto/

 

話は逸れますが、ここで「お金と幸せ」についての持論を少々。

結論だけ申しますと、お金だけで幸せになることは不可能だと僕は思います。(こういうのはお金持ちが言わないと説得力ないんですけどね)

しかし、些細な問題をお金で解決することによって本当に大事な所に集中できる、という意味では間接的に必要な道具であるとは思います。化学反応における触媒的な存在ですね。

 

最後に、「僅かに反省しております」って字面だけ見るとめっちゃ反省してるっぽくないですか?