そう簡単に人生変わらんよ

モラトリアムを拗らせた中二病おじさん。

wantが見えない

コロナになるまで、私は一人が好きだと思っていました。でもコロナで有象無象が消えてからはや一年、もう誤魔化しようがなくなってしまいました。私は別に一人が好きなわけではなかったみたいです。

社会の中で集団生活を強いらている反動として一人になりたかっただけで、集団生活という圧力が弱まった今、もはや自分の有り様について思うところはありません。

ちょっと話変わりますけど、「世間が暗い雰囲気になっている」というセリフを今まで当たり前のように受け入れていました。まあ世間ってそういうもんだろうな、と思っていたんです。該当インタビューで「感染者数がどうした、っていうニュースを日々見ていると気分が暗くなる」と言っているのを聞いて、まあ普通の人ってそんなもんだよね。と思っていました。

でも今日ふと思ったんです。俺はコロナのニュースを見てどんな気持ちになっているんだ?と。答えは、何とも思わない、です。ゲームの中でモンスターを倒しても現実世界に何も起こらない。それと同じくらい当たり前に、コロナのニュースは私の心に影響を及ぼさないんです。最前線で働く医師や看護師のインタビューを見れば思うところはありますし、自分自身は不要不急の外出はしません。でも、一歩引いてマクロで見た時に、今日は何人死んだとか言われても、ふーんとしか言いようがありません。

もちろん私にだって親しい人はいます。たぶん死んだら悲しいです。でも、死んで誰一人悲しまない人なんていますか?誰からも必要とされていない人なんていますか?ようするに、"自分"にとって大切な人と、"誰か"にとって大切な人の区別がつかないんです。そうすると、一人死ぬたびに悲しみに暮れるか、全員無視するか、しか選択肢はありません。でも、たぶん人間の心はそんな強くできていません。大切な人の死なんて、生涯で5人受け止められればいい方でしょう。死者三千人、と言った時に丸められた端数の146人も含めて、全員に感情移入していたら心が持ちません。もし耐えられるとしたら、それはもう人間ではない何かです。

何より自分が、他の70億人とどう違うのかがよくわからないんです。