時間は誰にでも平等、と言いますね。
言いますというか、事実そうですね。
でも、時間は誰にでも平等であることって、とんでもなく不公平じゃないですか?
だって、寸暇を惜しんで自己研鑽に励んでいる人も、毎日ダラダラしてるウンコ製造機みたいな人も同じ扱いってことですよ?
マネーの虎だったら絶対あり得ません笑
でも、それって当たり前だと思います。
もし本気で共感してしまった人がいたら、気をつけてください。なぜなら、平等というのは人類が作り出した価値観なのに対して、時間というのはこの世の理だからです。
人類は神ではありません。もっと謙虚になりましょう。他人にではなく、他の生物に対して。
で、突然こんなこと言い出したのには理由があります。というか、こっちが本題です。
私は約3年前に交通事故で死にかけました。具体的には、家族に脳死判定と臓器提供の説明がされるくらいには死の淵を彷徨いました。
しかし結局は、今もこうして生きてます。後遺症で多少苦労してはいますが、健康で文化的な人並み程度の生活を送れています。
誰かに事故の話をした時も、決まって「大変だったけど、ほんと生きてて良かったね」と言われます。
この「生きてて良かったね」がすごい引っかかるんですよ。だって、生まれてこの方、生きてて良かったと思ったことないんですもん。
一応言っときますけど、別に不幸な事はありませんでした。虐待もいじめも受けてません。でも、幸せな事もありませんでした。昨日死ななかったから今日も生きてる、それを25年繰り返してたら今日になりました。これをあと60年くらい繰り返して死んでいくんだと思います。
でも、もしあの時死んでいたらどうでしょう。私の臓器は誰かに移植され、意味のある日々を送っていたかもしれません。私の健康な臓器たちの使用権を誰かに押し付けられたかもしれません。
そう考えると、生きてて良かったどころか、死ねればどれだけ楽だったかと思ってしまいます。しかし、私は生きている。
そうです。時間と同様、命も平等ではないのです。
あ〜不慮の事故で死にて〜
追記
なんか尖った事を書いてしまったので、真意を補足しておきます。
・ウンコ製造機:自然の摂理で言えば、全ての生き物はウンコ製造機です。柔らかい表現にすれば、命のゆりかごです。人間は文化的とか訳の分からない価値観で動いていますが、そんなものウンコ以下です。
・生きてて良かったと思ったことない:かと言って、死にたいと思うこともそんなにありません。自分の生死にはあんま興味ないです。
・不幸な事はありませんでした:左半身動かなくなっても不幸だとは思ってないです。我ながら頭おかしいですね。
・幸せなこともありませんでした:思い出せるレベルのことはね。楽しいことくらいはありますけど、わざわざ生きてまで経験したいようなことは何一つなかったはずです。
・健康な臓器たちの使用権を押し付ける:当事者意識の無さというか、とにかく何者かでありたくないんです。責任取りたくないんです。
・不慮の事故で死にたい:
自殺したら、周りの人たちが責任感じちゃう可能性があります。それは申し訳ないです。良い人ばっかなんで。
誰かに殺してもらうのもダメです。僕のせいで殺人者になる人がいるって事になりますから。通り魔とかなら良いんですけど、世の中そんな都合よく行きませんから。
ベストなのは自然災害系ですね。誰も犯罪者にならないし、なんかこう、たくさん死んだうちの一人って方が気が楽です。