そう簡単に人生変わらんよ

モラトリアムを拗らせた中二病おじさん。

時をかけたおじさん

今日は秋葉原で、時かけサマーウォーズの劇場上映がありました。

 

【東京都:10/25上映】<イッキミ>「時をかける少女」「サマーウォーズ」復活上映!!@秋葉原UDXシアター | ドリパス

 

どちらも名作ですが、時かけは5年ぶりくらいに見たので、やたら刺さりました。

簡単にあらすじを書くと、主人公の女子高生がある日突然、過去に戻れる能力を手に入れます。それで色々するわけですが、最終的にそのせいで大事な友達を傷つけてしまう。その後なんやかんやでハッピーエンドに落ち着くわけですが、まあ大体こんな感じのお話です。詳しくは見てみてください。

 

この作品を見ていると考えてしまうのが、人の世はゼロサムゲームなのか、という問題です。ゼロサムゲームというのは、誰かが得した時は誰かが損してる、ってやつですね。例えば麻雀なんかはゼロサムゲームで、自分が勝った時は誰かが負けてます。

先程は「色々する」と書いてしまった部分ですが、主人公のマコトは自分の不運や失敗をなかったことにするために過去に戻るんですよ。テストの点が悪かったとか、調理実習でボヤ騒ぎを起こしたとか、友達だと思ってた男子に告白されたとか、大小様々を無かったことにするために。

でその結果、他のところに悪影響が出るわけですね。調理実習の係を代わってもらったら友達が怪我しちゃうとか、テストの点が良かったせいで一人の女の子が失恋しちゃうとか、主人公の代わりに、友達とその彼女が死んじゃうとか。

頭とケツだけ持ってくると訳わかんないでしょうけど、風が吹けば桶屋が儲かる的な感じでそうなるんですよ。カオス理論でいうところのバタフライ効果ってやつですね。

私が先程ゼロサムゲームと言ったのはこの部分です。映画みたいに当事者の身の回りで起こることはないにしても、自分にとって不都合な過去を変えたとき、どこかで誰かが代わりに不利益を被ることになるのか。

経済活動はゼロサムゲームですよね。自社の受注は他社の失注ですから。

問題はもっと個人的な部分です。自分に不運なことがあったとき、そのおかげで難を逃れた人はいるのか?反対に、自分が普段平穏に過ごせているのは、どこかの誰が悪い目に遭っているからなのか?

これは考えたってわかるわけないんですけど、何か嫌なことがあったとき、もしかしたらどこかの誰かが幸せになっているかもしれない。

それは同時に、何事もない日常は誰かの不幸に支えられている、ことになるのかもしれません。

でもまあそこまで考えすぎずに、ほんわかと生きていればいいのではないでしょうか。

僕も自分が死にかけた時に思いましたよ。俺が死んでれば助かった命があったのかもしれないと。でも、結果生きてるんだから考えたってしょうがないじゃん、と思うことにしました。そして、もしかしたら犠牲になったかもしれない命の分まで一生懸命生きようと思いました。そしてそして、普段はそんなことすっかり忘れて自堕落な日々を送っています。でも、それでいいと思うんです。生き方に正解なんてないし、命は誰のものでもない。所詮は生物なんて、宇宙という大きな生命体の細胞でしかないのだから。