おはようございます。
(ほぼ)徒歩で琵琶湖を一周中ののりゆきです。
二日目の今日は、少し琵琶湖から離れて行ってみたい所があります。
その名も「金糞峠」。「きんぷん」または「かなくそ」と発音するそうです。
うんこが好きな私としては見過ごすわけにはいかないスポットです。
いくつか山行記録のサイト見たんですが、これもう完全に登山ですね。そして一番の懸念材料が青ガレと呼ばれるガレ場(岩が積み上がってる坂みたいな所)です。
実は私、高校3年間山岳部員として活動していたので登山には多少詳しいです。詳しいというか、少なくとも甘く見たりはしていません。
正直、今の体でガレ場を通るのはかなり不安です。自滅するならまだしも、落石(踏み抜いた岩が斜面下に落ちていくこと。下から登ってくる人に当たったら大惨事)させてしまったら迷惑どころの騒ぎではありません。しかし今の時期にほとんど登る方はいないそうなので、そこは細心の注意を払うということで目をつぶっていただきたいと思います。
タイトルの「一糞懸命」は読んで字のごとく「一つのうんこに命を懸ける」という意味です。
なぜ私が自らの命を賭してまで、他人様の命を危険にさらしてまでうんこに懸けるのか。
それは、昨年の事故を通して私には「今ここ」しかないと痛感したからです。その後読んだ色々な本にも書いてありましたが、時をかけられない我々には「今」しかないのです。
あの事故に遭った後、多くの医師に「よく生きてたね」みたいなことを言われました。まあ自信を持たせるための社交辞令なんでしょうが、あながち間違ってはいないのだろうと思います。
あの時死んでいてもおかしくなかった自分が今も生きている意味は?
それは「今を全力で生きる」ことだと勝手に思っています。
23にもなって頭がおかしいとは思いますが、私は「うんこ」が大好きです(スカトロジストではない)。
そんな私が運命的に出会った金糞岳。知らずに通り過ぎていた可能性も十二分にあったと思います。
また今度来ればいい?
違います。もしかしたら明日死ぬかもしれません。
うんこに命を懸けるなんて頭おかしい?
それは仕方がありません。私は頭がおかしいのです。
死にたくない理由がない私ですが、決して命を捨てに行くわけではありません。そこは誤解しないでください。安全登山に向けて最大限の準備はしています。
昨日の疲労が残っていたので、ついさっきまで公園で寝てました。
今も当然のように電車に乗っています(さすがにここは戻って歩く予定)。
余計な荷物はコインロッカーにデポして(置いて)きました。
枝に引っかかる可能性があるさっちゃんキーホルダーは外しました。
最善を尽くしました。
と言うつもりだったのですが、一つ大きなミスを犯していたことに気がつきました。
金のうんこのフィギュアを持っていません。それくらいは用意しておくべきでしたね。まあそこはさっちゃんで代用します。私のうんこの師匠ですからね。ちなみに男性器の師匠は野原しんのすけです。
ここまで読んでくださった方に、この言葉を送ります。
『clover』meg rock
ねえ、この先はどこまでも不安と隣り合わせ
失くすモノがなかった僕たちはもういない
ではでは、生還したらまた今夜お会いしましょう。