こんにちは。のりゆきです。
突然ですが、「共感性羞恥」という言葉をご存知ですか?
ちょっと前に話題になりましたが、ざっくり言うと「他人の恥を自分のことのように感じてしまう」ことだそうです。
私は該当しないのでわかりませんが、ドッキリとか恥ずかしくて見てられないらしいですね。
このように、様々な専門用語(病名とか)が広まるのは良いことだと思います(共感性羞恥はたぶん性格みたいなもんです)。
それこそADHDや鬱など色々な病名が広く認知されることによって理解が得られ、当事者たちが社会で生きやすくなるのはとても大切なことだと思います。
しかしこの世界というのは、あちらを立てればこちらが立たないものです。弊害も出てきます。
それは、それらを言い訳にする連中のことです。
例えば、疾患Aにかかったとき症状Bが出るとします。
それを「あ、俺BだからAなんだ。じゃあこれできなくて当然じゃん。やーめた」と恥ずかしげもなくのたまう輩が出てくるわけです。もちろん本当にそうかもしれませんが、そういうヤツはだいたい違うというのが世の常です。そもそも、A→BのときB→Aなのだと本気で思っているとしたら、それはもう救いようのないバカです。
話が逸れてしまいましたが、知能や精神の疾患など目に見えないものは、素人目ではサボりと判別するのは困難です。だからこそ、然るべき所に行って専門家に診断してもらうわけです。わかりにくいものほど専門家の介入が必要なものだと私は思います。お金も時間もかかりますし、ヤブ医者みたいのもたくさんいるでしょうからそんな簡単な話ではないのでしょうが。
そして、証明されてない人の中に潜在的な病人がいるのも間違いありません。
当事者もそうですが、周りも困ります。
厳しくしていいのかわからないわけですから。
そんな人にどう接しますか?
情けない話ですが、私は何もしません。傷つけるくらいなら何もしない方がマシだと思ってしまいます。本当にダメなヤツですね。
でも、今はそれでいいと思っています。
そういうのは本当に守りたい人のために取っておきます。いざという時にボロボロで使い物にならなかった、なんてことにならないように。