※ネタバレあり※
こんにちは。のりゆきです。
しつこいようですが、まずは読んでみてください。本当におもしろいです。
さて、同書では一人芝居のようなシーンがあります。例えば、
ぼくは同じようにエアコンがないアパートに住んでいて、同じように事務所で孤立していた佐藤満春という男と仲良くなった。
(エアコンが欲しければ、競争の中で勝ってエアコンを手に入れればいいんだよ。それ以上でもそれ以下でもないよ。言い訳をするな。もしくは・・・)
「もしくは?」
(エアコンを持っていないことを、持っている人に笑ってもらえれば無敵だよ)
「......なるほど」
こんな感じで、心の中で会話するような描写がある。最初はもう1人のボク的な事かと思っていたのだが、それにしては違和感があった。
よくわからないまま読み進めていくと、()と「」だった会話が「」と「」になった。そして、
スマホに死んだ親父の画像を映し出し「ねぇ、親父」と話しかける
まさかそういうことだったとは!ただただ驚いた。そしてその後には、父親との思い出や父親に対する想いが綴られている。そもそもキューバ旅行のキッカケも父親だったようだ。
若林さんの父親はお隠れになった、ということはラジオで知っていた。しかし、あんな面白おかしく話している裏にそんな想いがあるとは思いもしなかった。
父親が死ぬなんて悲しくないはずがないだろう、と言われればその通りなのだが、私にはその気持ちがわからない。なんなら自分で手を下したいくらいだ。
その辺りは今まで常識的に考えて補ってきた。しかし、大病を経て自分の異常さを確信した私は、積極的に思考から常識を排除してきた。
それ自体は別にいい。だが、いささか度が過ぎていたようだ。
仮に自分が非常識だとしても、それは常識人を傷つけていい理由にはならない。
春日さんが「お隠れになった」と茶化せるのは、二人の関係性があってこそだろう。ラジオやライブなら笑っていてもいい。なぜなら笑わせるために言っているのだから。むしろ神妙な空気になったら困ってしまうだろう。
しかし、身近な人間に対してはそうはいかない。大切な人を失った友人に対して、
気にすんなよ、お前はお前だろ?
などと言ってはいけないだろう。
いや、俺なんてさっさといってくれって思ってるけどね、
なんて言ったら大変だろう
いやでもさ、将来介護とか大変だったろうし、変に長生きされるより良かったよ
と明るく振舞っているヤツには...どうしたらいいんだろう?
少なくとも大勢いるところで神妙になるのは違う気がする。仲のいいヤツだったら、後で話でも聞いてやればいいのだろうか。
別に大して仲良くもないヤツだったら知らぬ存ぜぬで通せばいいのだろうか。自分がマスターピースになれるなんてのは傲慢だ。承認欲求をこじらせた醜いエゴだ。
大きな過ちを犯す前に気が付けて良かった。
ありがとう若林、ありがとうオードリー、ありがとう若林のお父さん