そう簡単に人生変わらんよ

モラトリアムを拗らせた中二病おじさん。

懺悔

こんばんは。のりゆきです。

 

私の人生最大の罪について謝罪するべく筆を執りました。

さきほどある記事を見つけ、私はかつてないほどに落ち込んでいます。

 

幼少期に性器を見せられてトラウマになった人

 

という某まとめサイトの記事です。たぶん無許可で鍵垢のツイート貼り付けてるので、リンクはやめておきます。

ツイートにはある同人作家さんが書いたマンガが付けられているのですが、内容は大体こんな感じです↓

 

幼稚園の頃、プールの時間に男児に陰部を見せつけられた。そのことを思い出す度にやり場のない怒りと屈辱に苛まれる。

「子供のすることだから」と簡単に言う大人もいるが、本人は大人になった今でもその男児を許せない。

 

まず大前提として、心の問題はてきとうなその辺の常識に当てはめて考えるべきことではありません。私なんてその典型だと思いますが、音読は辛くても、半身麻痺で辛いなんて思ったことはありません。

正直、僕もついさっきまで「子供のしたことだから」と思っていました。小学校低学年までは男女同じ教室で着替えてましたし。

言い訳するわけではありませんが、同じように思っている人は少なくないと思います。

 

そんな事をした理由は覚えていませんが、間違いなく卑猥な発想でやったわけではありません。当時はまだ、なんで突然男女が違う教室で着替えるようになったんだろう?くらいに考えていたと思います。

謝罪はしました。自分のクラスはもちろん、隣のクラスにも行って帰りの会で謝罪しました。そこはよく覚えています。大人しい子供だった私は、そもそも謝らなければいけないような事をした覚えがほとんどありません。それがクラスの前に出て謝罪したわけですから、鮮烈な記憶として焼きついています。

たしかに、世の中に償えない罪はありません。子供が刑罰を受けないのは、まだ十分な責任能力がないらというのが社会全体の総意だからでしょう。元来人を裁くのは法であるべきです。いつまでも罪の意識に取り憑かれているのが正解だとも思えません。

 

これらは全て正論だと思いますし、正直、私はこう思っています。

しかし、これらは罪の意識に苛まれている人間にかけられるべき言葉であって、「子供がしたことだから」で片付けていた私は一生この罪を背負って生きていくべきなのです。

過去は変わらないとよく言いますが、変わらないのは過去の事実だけです。

認識や思いは変わります。

気持ちの上では過去を清算できるのと同じように、今まで思いもしなかった罪を新たに背負うこともあるのです。

 

本当に申し訳ありませんでした。