そう簡単に人生変わらんよ

モラトリアムを拗らせた中二病おじさん。

嫌われる勇気 第五夜

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 最後の章なので、総まとめ的な内容でした。さっそく感想文書いていこうと思います。

 

・信用と信頼(p230)

本書の記述によると、担保を取るのが信用(銀行とか)、無条件に信じるのが信頼なんだそうです。

この「信じる」という行為に関しては僕自身ずっと思うところがありました。本書の内容とは全く関係ないのですが、丁度良いので書いていこうと思います。

まず、基本的に僕は人を信じません。代わりに自分を信じます。例えば、自宅に友人を一人残して外出したとします。このとき僕は「こいつは何か盗ったり部屋壊したりしないだろう」とは思っているのではありません。「こいつが何しようが知ったこっちゃないが、まあこいつに何かされても別に良いか」と思っています。

この「信じる」問題は、我が人生最大の敵である両親にも関わってきます。彼らは決して積極的に私を不幸にしようとはしていない、とは思っています。単に、思考金銭その他あらゆる面において裏目に出ているだけなんだと思っています。この親への「信じる」を指して、

「信用はしてるけど信頼はしてない」

と私は今まで言ってきました。

 

・100人のヨッ友より1人の親友

信頼することを恐れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことはできないのです。(p235) 

 私には信頼している友人が一人だけいるのですが、さすがにその彼に裏切られたら傷付くと思います。

 

・吃音について(p247)

アドラー心理学では、吃音に悩まれる方々は「自分の話し方」にだけ関心を寄せ、劣等感や生きづらさを感じている、と考えます。

まあよく聞くお話なんですが、当事者としてもその通りだと思います。現に私も、軽度吃音だった幼少期よりも重度吃音の今の方が生きやすいです。ただここで一つ気を付けたいのが、気の持ちようで変わるのは生きづらさだけです。症状自体が軽くなったりはしません。

 

・共同体感覚

前の記事で「共同体感覚ってよくわかんない」みたいなことを書きましたが、実は共同体感覚の申し子だったようです。共同体感覚とはすなわち、自分が何か(共同体)に属している、という感覚のことだそうです。そして、この感覚があると承認欲求は必要ない(むやみに承認を求めない)で済むんだそうです。

この承認欲求はいらないという感覚はすごいしっくりきていて、私は自分で自分を承認できます。まあ実際には色々ありますが。そしてストレングスファインダーでは「運命思考」という資質が上位に入っています。運命思考の特徴から抜粋すると、

偶然に起こることはひとつもありません。あなたはそれを確かな感覚として持っています。それは、人々が互いに結びついていると、心の底から知っているからです。確かに人々は自分の行動を自分で決めることができる、自由な意志を持っている個別の人間です。とはいっても、私たちは何かもっと大きな存在の一部なのです。それをある人は集合的無意識と呼ぶかもしれません。それを魂あるいは生命力と呼ぶ人もいるでしょう。しかし何と呼ぶかは問題ではありません。私たちは互いに隔絶されているわけではなく、地球や地球上の生命から切り離されていないと知っていることで、あなたは安心感を得るのです。

 ということらしいです。これに関連してるのでしょうが、「全人口に対する割合でみれば、交通事故発生数も脳梗塞発症者数も大体決まってるんだ。つまり、俺が被害者になったからこそ救われた人間がいるんだ。なんならそれがお前だったかもしれないんだからな、感謝しろよ」と思っている節があります。

 

・普通であることの勇気(p260)

そして多くの子どもたちは、最初の段階で「特別によくあろう」とします。(中略)しかし、特別によくあることがかなわなかった場合今度は一転して「特別に悪くあろう」とします。(p258) 

 直接関係ないのですが、私は人生って退屈だなーと思う事がたまにあります。刺激が欲しいんです。その刺激においては良いも悪いもありません。宝くじ3億円当選でも突然3億円の負債を背負うんでも変わんないんです。普通であることに満足できるよう今日も精進します。

 

・いま、ここ(p270)

われわれはもっと「いま、ここ」だけを真剣に生きるべきなのです。(中略)過去にどんなことがあったかなど、 あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。

 今に意識を向けろ、というのはよく聞く話ですね。今日聴いたオードリーのANNでも若林さんが言っていました。こんなよく聞く話をわざわざ取り上げたのは、松岡修造さんの話をしたかったからです。

松岡修造さんは、私が本当に尊敬している方です。日めくりカレンダーも使わせていただいているのですが、その23日にこんな言葉があります。

後ろを見るな!前も見るな!今を見ろ! 

 f:id:noriawaodori:20181014191540j:image

よく「新しい事を学び始める時は、とりあえずその分野の本を何冊か読んでみる。重要なことはどの本にも書いてあるから、そこを押さえればいい」と言いますが、その理論で言うと「今この瞬間に集中する」というのは生き方の心理なんでしょう。僕の尊敬する方は全員と言っていいほどこうおっしゃっています。

 

・人生はここで完結している

「いま、ここ」の話の続きなのですが、人生は常に今この瞬間で完結しているそうです。私にはこの感覚がよくわかります。私は、本当に今この瞬間死んでも後悔はない、と昔から思っていました。それ故になぜここから先も生きねばばならぬのかと考えてしまったりもするのですが。

 

・なぜ生きるのか

なんのために生まれて なにをして生きるのか

こたえられないなんて そんなのはイヤだ! 

なにがキミの幸せ? なにをしてよろこぶ?

わからないまま終わる そんなのはイヤだ! 

 誰もが知っているであろう『アンパンマンのマーチ』の一節です。生きる目的、人類にとってそれは永遠の命題ではないでしょうか。私もその魔力に取りつかれ、「考える」ことができるせいでこんな苦悩を抱えるハメになったんだ。考える事ができる以上幸せになんてなり得ない。なぜ他の動物に生まれてこなかったんだ、と自分の運命を呪っていた時期がありました。

この問題について、同書ではこう結論付けています。

「一般的な人生の意味はない」(p278)

 ここで注意していただきたいのは、決して「人生は無意味だ」と言っているわけではないということです。全人類に共通する意味、いわゆる一般解のようなものは存在しないと言っているだけです。

人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ。 

 ということです。他の誰も、あなたが生きる意味を知りません。全世界73億人の中で唯一人、あなただけがあなたの生きる意味を知り得るのです。

 

蛇足ですが、私の生きる意味は「生きる意味を知ること」だと思っています。そしてもし、「一般的な人生の意味」が存在するとしたらそれは種の保存以外にないと思います。

だらだらと書いてしまいましたが、一番言いたいことがあるとすれば、『嫌われる勇気』読んでくれ、それだけです。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え