そう簡単に人生変わらんよ

モラトリアムを拗らせた中二病おじさん。

お金の価値と幼児的万能感

最近ちょっと金儲けの話をする機会がありまして、投資やらギャンブルやらの話をしているうちに「俺にとって金ってなんなんだろう」などとクソどうでもいいことを考えてしまいました。

結論から述べますと、金というのは一発当てるものだと思っています。

別にコツコツ貯めることを否定している訳ではありません。そもそも私自身がガチガチの安定志向です。一発当てることに対する憧れはあるものの、大きなリスクを負うことはせずに退屈な人生を送るタイプです。非日常に連れ出してくれる美人で巨乳な彼女を一生待ち続けて死んでいくのです

 

初手矛盾な感じが出ていますが、ここで重要になるのが「お金の種類」という概念です。俺がてきとうに考えた訳じゃないよ、『MIND OVER MONEY』にも書いてあったよ、たぶん。

説明しろと言われると困っちゃうんですけど、おじいちゃんの形見の諭吉とさっきATMでおろしてきた諭吉は違うよね、みたいな話です。

つまり、コツコツ貯めたお金と一発当てたお金はそもそも別物なので、矛盾もクソもありません。

 

で、最初にフォーカスするのはコツコツの方です。幼児的万能感(幼い子供が、俺ってなんでもできんじゃね、と思っているような感覚)もここで登場します。

私はなぜ貯金に意味を見出せないのか、というか何においてもコツコツやることができないのか、という問題について分析ごっこしてみます。

まず前提として、人間というのは放っておけばサボる生き物だと思います。やりたいことは続くけど、やらされていることは続かない。

しかし周囲を見渡せば、多少サボりはしても基本的には真面目な大人がたくさんいます。なぜでしょうか?

私が思うに、幼い頃から社会(というか学校)に参加している中で他人と比較されて順位をつけられていると、上を目指さなければいけないような気がしてくるからだと思います。それで良くも悪くも似たり寄ったりの人格が形成されていくのだと思います。

逆に言えば、比較されて劣等感を感じることがなければコツコツやろうと思うキッカケがない訳です。では私は何においても勝ち続けてきたのか?

残念ながらそんなことはありません。幼児的万能感を引きずっているだけです。

コツコツやったら何でもできちゃうんだからもはや何もやる必要ないだろ、と無意識的に考えているのです。んなわけないのに、現実を突きつけられる機会がなかったもんで、見た目は大人・心は幼児、という目も当てられない状態になっています。

入試とか就活なんてワンランク下げれば苦労するはずもありませんし、運動全般はハナから諦めてたので悔しがりようがありません。

 

そしてこの考え方が、実は一発当てる方にも繋がっています。

コツコツやれば何でもできると仮定した場合、人生は出来レースです。初めは良くても、そのうち飽きます。飽きた人間が刺激を求めるのは必然です。

fxやギャンブルで一発当てて億万長者なんてバカが好きそうな刺激ナンバーワンですよ。

 

たぶんこういう思考過程があったのではなかろうか。

現実逃避にも色々あるよね。僕はひたすら内に向かうタイプです。