そう簡単に人生変わらんよ

モラトリアムを拗らせた中二病おじさん。

嫌われる勇気 第三夜

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 第三夜では「課題の分離」について書かれています。課題の分離とは、ある課題に対して、どこまでが自分の範疇なのか明確に線引きし、それ以外はキッパリ切り捨てる、という考え方なんだそうです。

例えば、就職について親と意見がぶつかっているとします。ここで自分にできるのは(自分がすべきは)自分の選択をすること。たとえその選択によって親が泣き喚いたとしても、そこに折り合いを付けるのは親の課題であって、自分とは関係ない。

これもまた、私の考え方に近いところがあります。親に関しては恨みしかないので、指導者を例に挙げてみます。指導者にはそれなりにお世話になっていますから、望むような成果を上げたいと思うことはあります。でも、指導者が私にそうしたのは、あくまでも彼自身の判断です。私には恩を返す義務があるわけではありません。もし私が恩を仇で返したとしても、それは彼に人を見る目が無かったのが悪いのです。

一方で、恩を仇で返し続けたら私はどんどん孤立していくでしょう。しかし、それは私の勝手です。彼には関係ありません。

実際、私はそろそろ修士論文の執筆を始めなければならないのですが、研究らしい研究なんてしていません。押したら成果が出るボタンが目の前に置かれたら押しますが、成果を出すために努力しようなんて気はさらさらありません。

 

さて、ここまで書いてきてふと思い出したドラマがあります。2008年に放送していた『先生はエライっ!』という作品です。ユースケサンタマリア演じる教師(ウザケン)が担任を務めるクラスの生徒たち(Hey!Say!JUMPの山田くんとか)がなんやかんやするお話だったと思います。詳しくはWikipediaでも見てください。

作品全体の事はあまり覚えていませんが、一箇所印象的なシーンがあります。

 

なんか割と大きめな事件が起こって、解決した後のウザケンと山田くんの会話なんですけど、

山田「なんか先生変わったね」

ウザ「俺は何も変わってねーよ」

山田「そんな事ないよ。変わったよ。」

ようするに、「先生が変わった」のではなく、「生徒たちが変わった」から「生徒たちの先生に対する見方も変わった」って事ですね。

別にこのドラマに特別な思い入れがあるわけではないのですが、ふと思い出したので記しておきます。