どうも、のりゆきです。
最近、「ゆきりぬ」と「のりゆき」はとても似ているという事に気がつきました。
yukirinu とnoriyukiの構成要素は一文字違いです。
さて今回は私の入院生活についてのお話ですが、初めにこの場を借りて言っておきたい事があります。
私は入院生活で関わった全ての医師、看護師、療法士、他の患者さんに本当に感謝しています。今の私があるのは皆さんのおかげです。
そして、ごめんなさい。不肖のりゆき、皆様のご好意の裏でとんでもない事を考えておりました。ただ、それがあったからこそ入院生活を乗り越えられたのも事実です。
どうかこの野蛮人をお許しください。
私は計3カ所の病院を転々としました。
まず救急搬送で大学近くの救急病院に1週間、次に実家近くの急性期病院に2ヶ月、そして最後はリハビリ病院に4ヶ月。
救急病院にいた時の事は、ほとんど覚えていません。意識はすぐに戻って普通に会話していたらしいですが、何を話したんだか全く覚えていません。
ちなみに、最初はCTだけで脳しんとうと診断され、その後腕が動かねぇと自己申告してはじめてMRIを撮り、脳梗塞が発覚したという経緯があります。
詳しい事は知りませんが、僕は「999人殺しても1000人救えば許される」と思っているので野暮な事は言いっこなしです。
その後転院した急性期病院、ここはまさにユートピアでした。
私のいた病棟は若い看護師さんが多くいらっしゃいました。一番若くて同い年です。
その当時の私の状態と言えば、左は麻痺で、右は骨折で全く動けません。完全な寝たきりです。
そして一日中寝ている生活が続くと何が起こるかと言うと、めっちゃ便秘になります。そして脳の血管を損傷していた私は、踏ん張る事もできません(なんか血圧上がって血管破裂して死んじゃうみたいです)。
便秘薬も飲みましたが、そんなレベルではありません。お腹の中にデカい石が入ってるみたいでした。
そこで何が行われるかというと、ケツに指突っ込んでウンコかき出されます。
ちなみに、これは摘便と呼ばれるれっきとした医療行為です。決して性サービスではありません。
そしてこのトイレ、実はもう一段階変身を残しています。
長くなるので詳しい話はまた今度。
摘便と並ぶビッグイベント、それが入浴です。
両手両足が使えない私は、洗体はおろか着替えることすらできません。
そうしたらどうなるか...
お分かりですよね?
これもまた別の機会に。
さて、陰部を露出するイベントだけではありません。なにせ自分では何もできないわけですから、やってもらうしかありません。いやーたいへんだったなあ
ごはん食べさせて、テレビ付けて、スマホ取って、トイレ連れてって。
自我を強く持たないと、石油王になったのかと錯覚してしまいそうでした。
ここまでで、入院生活はユートピアである、という事は理解していただけたかと思います。
しかし、私のユートピアは他の大勢のデストピアによって支えられていた事を忘れてはいけません。
例えば看護師さん。深夜でも、ナースコールを押せばすぐに来てくれます。ウンコが出ねぇと言えば嫌な顔一つせずケツをほじくってくれます。お風呂では愚息を丁寧に洗ってくれます。
もちろん辛い事の分だけ嬉しい事もあるのでしょうし、部外者がこんな言い方をするのはプライドを持って働いている方々に失礼かもしれません。
それでも、恋人でもない男の竿を洗い、決して高いとは言えないお給料で、連日の夜勤にも関わらず笑顔を振りまいてくれる彼女たち(男性もいましたが)は、まさに天使ではないでしょうか(ちなみに、白衣の看護師さんはほとんどいません)。
中には、実体を知らず憧れだけで看護の道に入ってしまい後悔している人がいたかもしれません。それでもいいんです、私はあなたたちがどんなに辛くてもバックれずに働いてくださったおかげで幸せな生活を送れていたんです。
もちろんタダではありません、保険金とは言え、きちんと病院にお支払いはしていました。
でもそういう問題じゃないと思うんです。
たしかに、お金の関係というのはわかりやすくて良いとも思います。サービスを受けたいならお金を払え、金を払ったんだからちゃんとやれ。仕事だから当たり前、の一言で片付ける事もできるかもしれません。
でも世の中は、そんな単純な関係性だけで回るほど簡単にできてないんだなあと痛感しました。
看護師さんの事ばっかり書きましたが、医師も療法士さんも同じです。
さて、最後のリハビリ病院は長かっただけあって書きたい事がたくさんあるので、そのうち別で書こうと思います。
世の中全てゼロサムゲームだ、とまでは言いませんが、自分が得をした時はその裏で誰かが悲しんでいるかもしれない、と思えば少しは優しくなれるかもしれませんね。
逆に自分が損をしたとしても、どこかの誰かが幸せを手に入れたと思えば多少は救われるのではないでしょうか。