「僕に逆らう奴は親でも殺す」
黒子のバスケに登場する赤司征十郎くんのセリフです。表現が過激だ、という理由からアニメでは「親でも許さない」(通称オヤユル)に変更されました。
まあそれはどうでも良いんですけど、今回は私と両親の関係について書きたいと思います。今までは意図的にこの話題を避けてきました。
まず、僕は決して両親と仲が悪いわけではありません。むしろどちらかと言えば仲は良い方だと思います。ただ殺意が溢れ出るだけです。
え?仲いいのに殺したいってわけわかんなくない?と思われたそこのあなた!
全くその通りです。自分でもよくわかりませんが、あえて言葉にするなら「生理的に無理」といったところでしょうか。
もっとちゃんとした理由を付けようとすればいくらでもあるんですが、あまり意味はないと思っています。
『単純な脳、複雑な「私」』(著:池谷裕二)を読んで初めて知ったのですが、脳は無意識のうちに過去の記憶を改ざんしてしまうそうです。それもしょっちゅう。同書の中から例を挙げると、
つまらない(はずの)労働をした。
それに対する報酬が極めて少なかった。
少ない報酬で退屈な労働をしたなんて不合理だ
じゃあ楽しかった事にしてしまおう(自分の夢に繋がるスキルが身に付くバイトなら、薄給でもやろうと思いますよね)
こんな感じです。いやーまさかそんなことをしていたとは。
それを知ってしまうと、理由を考えるなんて無意味な気がするのでやめておきます。
ちなみにこの本、脳の仕組みや働きについて非常にわかりやすく書かれているので(病気とか全然関係ありません)、興味のある方は是非読んでみてはいかがでしょうか。
ついでなのでもう一冊紹介
『親を殺したくなったら読む本』(著:石蔵文信)この本のおかげで私は今もシャバの空気を吸えています。
(ここにAmazonのリンクを貼るつもりだった)
さて、僕は別に殺人願望をさらしたかったわけではありません。
無意識のうちにずっと蓋をしてきてきた感情に向き合ったら自分の人生が大きく変わった事を伝えたかったのです。
過去についてはあまり触れませんが、僕は別に虐待されてもいないし、貧しかったわけでもありません。必要十分なモノや体験を与えられ、大切に育てられたと思います。
それについては本当に感謝しています。感謝していますが、それを相殺して余りある憎悪が僕の中には渦巻いていました。
前置きはこのくらいにして、親にこの気持ちを伝えたのは退院して2ヶ月後、就職活動が終わった直後です。
一度は直接伝えようと試みましたが、いざ本人たちを前にすると「殺す」と言えませんでした。
結果、大学の近くに家を借り、住所も伝えずある日突然家に帰らないという強行手段を取りました。電話番号も変え、LINEもブロックしています。さすがに捜索願とか出されても面倒なので、妹だけには事前に伝えておきましたが。
家出したはいいものの、初めのうちはこんな事して何が変わるんだと思っていました。
しかし、それから約半年、徐々に呪いが解け始めた僕の世界は今までとはまるで違うものになっています。第二の誕生とでも言うのでしょうか。
まず、楽しもうと頑張らなくても素で楽しい。
今までは、基本的に世界はマイナスだから無理矢理底上げしてプラスに持っていくみたいな感覚がありました。
楽しい事もあったけど、スイッチ切った途端にモノクロの砂漠に放り出されたような感覚になっていました。
しかし、今は違います。頑張らなくても、楽しいもんは楽しいです。これは本当に素晴らしい気付きでした。
次に、障害を少しでも改善したいという思いが沸いてきました。今までは、別にこれならこれで困らない。どうせ半年経ったら頭打ちでしょ?いいじゃんやれるだけの事はやったよ、って感じでした。強がりとか自分に嘘を付いていたとかではありません。
しかし、一人暮らし再開から1ヶ月が経った頃、気付けば新たなリハビリ施設を探していました。これには自分でも驚いています。
自分にとって身体の障害なんて大きな問題ではないと本気で思っていましたが、両親というもっと太くて深い障害の陰に隠れていただけだったのです。ナイフが刺さっている時に虫刺されなんて気にしていられないのと同じです。
他にも挙げればキリがないですが、特筆すべきはこの二点でしょう。キッカケをくれた脳梗塞には感謝してもしきれません。
最後に付け足しておくと、僕が殺意を抱いた事があるのは世界で3人。父、母、(突然だけど)母方の祖母だけです。ですが離れた今はなんとも思っていません、他人以上の他人って感じです。全世界73億人の中で一番どうでもいい3人です。世界でたった3人の、私を苦しめた人間です。「親"でも"殺す」のではありません、親"だから"殺すのです。
一方で妹の事は世界一大切ですし、たくさんいる親戚の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。両親と縁を切るにあたって、最後まで気掛かりだったのも親戚でした。両親に会わないという事は、親戚の集まりに参加しない事を意味します。特別仲の良い人たちは別として、多くの人たちとはもう一生会う事はないでしょう。最後にちゃんと感謝を伝えられなかったのは、今でも少し気掛かりです。
最後はちゃんと妹に好き(恋じゃなくて愛だからね)だと伝えて家を出るつもりでしたが、結局言えませんでした。伝わっているといいのですが。
シスコンも気持ち悪いので、いつか妹よりも、いや同じくらい大切だと思える女性に出会える事を願って今回はこの辺で筆を置かせていただきます。
---------------10/05追記---------------
なんの因果か、この記事を書いた直後に母親から電話がきました。妹にすら番号教えてないのにどうやって調べたんでしょうか、探偵でも雇ったのか?
まあ出てしまったものは仕方ない(油断して着拒してなかった)ので話をしたんですが、相も変わらず新しいリハビリが色々あるからやってみたら?お金なら出すから、みたいなことを言ってくるので、もう久し振りに憎悪の嵐が巻き起こってしまい、思うがままに吐き出してしまいました。
お前の金で良くなるくらいなら悪いままの方がマシ
言われなくてもそんなん知ってるし、そもそもお前いくらかかるかわかってないだろ?
お前らに出せる程度の金額なら俺自身でどうにでもできる、お前にできるのはせいぜい死亡保険出させるくらいだ
とガーッと言って切ってしまいました。冷静になってみるとひどい事言ってますね。まあ全部本心だからいいんですけど、もうちょい歯に衣着せた方が良かったですよね
ちなみに、治療(リハビリ)の種類によっては死亡保険でも全然足りないし、そんなもん貰ったってまたシュレッダー送りになるだけです。いや、今回はユニセフにでも寄付して社会に還元しようかな