そう簡単に人生変わらんよ

モラトリアムを拗らせた中二病おじさん。

全部どうでもいいから自分で決められない

「全部どうでもいいから自分で決められない」

 

鬼滅の刃』に登場する栗花落カナヲちゃんの言葉です。悲しい言葉ですよ。

 

いや〜わかりますね〜圧倒的共感が止まりません

・・・

 

嘘です。ちょっとだけ共感します。

 

いや、「やりたいことがない」ってのは本当にわかります。ただ、僕の場合は多少なりとも「やりたくないこと」があるので、その境地には達していません。

 

どっちつかずは一番良くないですね。

早く大人になりたいような、

いつまでも子供でいたいような、

いや〜難しい。口で言うよりだいぶ難しい。全人類の叡智を結集しても答えが出ない確信がある。

艱難辛苦を乗り越えた人間なら自分なりの結論は出せるのだろうか。

自己肯定オバケ【言い訳編】

「自己肯定感オバケ」を書いている最中、気が付けば言い訳が出ていました。

言い訳しても前に進まないので本体からは消しましたが、現状を表している言葉だとも思ったので残しておきます。

 

相槌打ってるだけだと話聞いてんのかよって思われちゃうじゃん。その加減が難しすぎるんだよ。ターン制にしてくれよ。

 

吃音にもいろんなタイプがいるけど、俺は沈黙が生まれない方がいいタイプなんだよ。むしろガンガン先読みしてほしい。けど、聞こうとしてくれる気持ちは素直にありがたい。

 

思った時に聞かないとすぐ忘れちゃわない?左手使えないとメモ取りながら聞くの難しいし。

 

こういうの頭打ってからかな?と思ったりもしたんですけど、多分違いますね。

小学生の頃「お前さ、話に割って入ってくるの辞めろよ」と言われました。

中学生の頃「話最後まで聞けよ」と言われました。

塾講時代に「最後まで質問聞いてよ」と言われました。

完全にヤバイ奴ですね。みんなごめんね。あと、言いにくいこと言ってくれてありがとう。

自己肯定オバケ

※ちゃんと心理学を勉強しているわけではないので、たまたま見つけた記事を繋ぎ合わせて私見で間埋めてるだけです。

 

突然ですが、最近職場の人と話してると思うことがあります。

みんなめっちゃ人の話聞くんですよ。いやもう本当に聞くんですよ。

吃音出まくってるんですごい変な間が空くんですけど、それでも待ってくれるんですよ。

 

それを受けて感じるのが、俺ってすごい人の話聞かないやん、ってことです。特に、話全部終わってから質問する、ってのが苦手です。あれ?と思った瞬間に口が開いてる。

良くないことだとはわかってるんですけど、気付けばすぐ変えられるほど簡単なもんでもないですよね。

 

だからと言ってこのままにしておくわけにはいかないので、とりあえず「人の話が聞けない」でググりました。

人の話が聞けないのは「自己肯定感」が低いから “聞き上手”になる秘訣とは? (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

すると一番上に出てきたのが↑この記事。

「自己肯定感」というワードが意外に感じましたが、ざっくり言うと

「相手の話が聞けない」→「相手を尊重できていない」→「他人への態度は自分への態度と同じ」→「自分を尊重できていない」→「自己肯定感が低い」

という理屈だそうです。なんか納得。

もちろんこれが全てではありませんが、今回は自己肯定感にスポットを当ててみようと思います。前々から気になってはいたので。

 

さて、今までの私のスタンスは、世界一自己肯定感高い人です。一人でいるときはね。一方で集団の中ではもう全然ダメです。

ちなみに、麻痺になると無意識が生理現象として出てくるので、自分の精神状態がよくわかります。ちょっとしたことで足がプルプル震えます。他人以上よっ友未満の人が視界に入っただけで歩き方がぎこちなくなります、特に腕。吃音の程度にも影響が出ている気がします。

 

「ソロなら俺が最強」というのもある種の自己肯定ではあるのでしょうが、純粋なそれとは違いますよね。

本来の自己肯定が「他人と比較した時の自分を認める」ことだとしたら、私のそれは「他人は見ないで自分を無条件で認める」ことだと思います。割と前から見て見ぬ振りしてきたんですけど、社会人にもなるとそうはいかないみたいです。

 

「ソロなら俺が最強」っていうのを活かした生き方もあるとは思うんですけど、なぜかそっちを選ぶ気にはなれないんですよね。

 

25にもなってこんなこと言ってるのも大変恥ずかしいんですけど、前に進んでる感じがするんでオッケーにしましょう。

この「前に進んでる感じがする」というのはどんな意味での肯定なのでしょうか。

社会に出たら丸くなれると思うなよ

こんばんは。のりゆきです。

 

学生時代はあんなにトンがっていた先輩が、卒業後数年ぶりに会ったら丸くなっていて驚いた

なんて経験はありませんか?

私はあります。かなり驚きましたが、社会人になったらみんな丸くなるんだなーと甘く考えていました。

 

今は生きづらさを感じていても、社会人になったら自然と受け入れられる。社会に負けたみたいで癪だけど、あの頃は若かったなんて笑って話せる日が来る。

そう思っていた時期が私にもありました。

先人として言わせてもらうと、そんな希望は捨てた方がいいです。

 

もちろん丸くなる人もいます。

私の経験上、学生時代は空気を読まずにヘイト撒き散らしていたようなタイプは社会に出たらすぐに丸くなります。

丸くなれないのは、とりあえず一次会は出るけど帰りにヒトカラでヘイト爆発させてるタイプの人です。

 

まあ僕まだ半年しか社会人してないんで、3年も経てば丸くなっていると信じて明日からもヘラヘラやっていこうと思います。

というか最初のうちって立場弱いからね。虐げられてるわけじゃないけど、ありのままの姿見せたら面倒なことにはなりますよね。

後輩が入ってくるまでは、ここが人生の底だと信じて適当に受け流していこうと思います。

 

やはり油断すると自我が爆発してしまいますね。戒めなければ。

自我を捨てろ。雪ダルマになれ

by松岡修造

 

お金の価値と幼児的万能感

最近ちょっと金儲けの話をする機会がありまして、投資やらギャンブルやらの話をしているうちに「俺にとって金ってなんなんだろう」などとクソどうでもいいことを考えてしまいました。

結論から述べますと、金というのは一発当てるものだと思っています。

別にコツコツ貯めることを否定している訳ではありません。そもそも私自身がガチガチの安定志向です。一発当てることに対する憧れはあるものの、大きなリスクを負うことはせずに退屈な人生を送るタイプです。非日常に連れ出してくれる美人で巨乳な彼女を一生待ち続けて死んでいくのです

 

初手矛盾な感じが出ていますが、ここで重要になるのが「お金の種類」という概念です。俺がてきとうに考えた訳じゃないよ、『MIND OVER MONEY』にも書いてあったよ、たぶん。

説明しろと言われると困っちゃうんですけど、おじいちゃんの形見の諭吉とさっきATMでおろしてきた諭吉は違うよね、みたいな話です。

つまり、コツコツ貯めたお金と一発当てたお金はそもそも別物なので、矛盾もクソもありません。

 

で、最初にフォーカスするのはコツコツの方です。幼児的万能感(幼い子供が、俺ってなんでもできんじゃね、と思っているような感覚)もここで登場します。

私はなぜ貯金に意味を見出せないのか、というか何においてもコツコツやることができないのか、という問題について分析ごっこしてみます。

まず前提として、人間というのは放っておけばサボる生き物だと思います。やりたいことは続くけど、やらされていることは続かない。

しかし周囲を見渡せば、多少サボりはしても基本的には真面目な大人がたくさんいます。なぜでしょうか?

私が思うに、幼い頃から社会(というか学校)に参加している中で他人と比較されて順位をつけられていると、上を目指さなければいけないような気がしてくるからだと思います。それで良くも悪くも似たり寄ったりの人格が形成されていくのだと思います。

逆に言えば、比較されて劣等感を感じることがなければコツコツやろうと思うキッカケがない訳です。では私は何においても勝ち続けてきたのか?

残念ながらそんなことはありません。幼児的万能感を引きずっているだけです。

コツコツやったら何でもできちゃうんだからもはや何もやる必要ないだろ、と無意識的に考えているのです。んなわけないのに、現実を突きつけられる機会がなかったもんで、見た目は大人・心は幼児、という目も当てられない状態になっています。

入試とか就活なんてワンランク下げれば苦労するはずもありませんし、運動全般はハナから諦めてたので悔しがりようがありません。

 

そしてこの考え方が、実は一発当てる方にも繋がっています。

コツコツやれば何でもできると仮定した場合、人生は出来レースです。初めは良くても、そのうち飽きます。飽きた人間が刺激を求めるのは必然です。

fxやギャンブルで一発当てて億万長者なんてバカが好きそうな刺激ナンバーワンですよ。

 

たぶんこういう思考過程があったのではなかろうか。

現実逃避にも色々あるよね。僕はひたすら内に向かうタイプです。

ポケモンGOに嫌われてる

こんにちは。のりゆきです。

今日はひたすらポケGOしてました。

 

いつでも冒険モードがおかしくなったのはいつ頃でしたかね?もう遥か昔のことのような気がします。

 

今日は朝一で孵化装置に課金してひたすら歩きまくってたんですけど、15キロ歩いたのにまだタマゴが孵りません。

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週間の方も見てみましょう

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一週間で10キロなんてもはや誤差として受け入れられるレベルなんですけど、問題はそこじゃありません。

こいつ今朝は50キロになってませんでした。つまり今日だけで少なくとも8.4kmは増えたことになります。なのに7キロタマゴが孵化していない。

ゲーム内ですら辻褄が合わないって、むしろどうしたらそうなるんだ

 

システム的にヘルスケアとポケGOの距離が一致しないのはわかってるんですけど、それにしたってヒドい。

最近暑いから、無理しないようにやる気を削ぐ機能でも導入したのでしょうか

 

設定の確認からアプリの再インストールまであらゆることを試しましたが、ダメっぽいです。

検証っぽいこともしてみましたが、

  • アプリを開いている(画面オン)間は正常に動く
  • 頻繁にアプリを開く方が正確な値に近づく

くらいのことしかわかりませんでした。

 

あとね、一番ダメなのはこれ

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上はApple WatchのポケGOアプリで表示された距離で、3.37キロというのはほぼ正確なんですけど、それすら反映されませんでした。

ちょっと前まではApple Watch側つけとけば正確にやってくれてたんですけどね。

相変わらずポケモンやポケストの通知もしてくれないので、完全にいらない子になってしまいました。

 

まあダメな子ほどかわいいと言いますからね。

「バグもゲームの一部」というkoty民の言葉を忘れてはいけません。

いや待てよ、まさかモンスターボールプラスを買わせるための策略なのでは?

 

ダメな彼氏といつまでも別れられないタイプなので、この程度ではめげません。

カウントが半分になるなら、2倍歩けばいいだけです。

オラのりゆき、14才

こんばんは。のりゆきです。

14才、ピッチピチの中学二年生です。

嘘です。もう24です。

 

突然ですが、私以上に重篤中二病患者に会ったことがありません。

普段は外にほとんど出してないのですが、私は根っからの中二病です。

 

猟奇的殺人犯が「そんな人には見えなかった」と言われるのと同じです。

外に出ている人は、ゆうて大したことないんです。彼らは大体承認欲求こじらせてるだけなんでまだ他人という存在を強く意識しているんです。

だけど内に秘めている人は違います。他人を寄せ付けない硬い殻の中で濃縮された自我が渦巻いているんです。

 

なんか話が逸れました。

今日のテーマは中二病です。現代っ子なら誰しも通ってきたであろう暗黒期です。

そんな中二病とは一体なんなのか、10年以上の長きにわたって中二病に罹患している私がたどり着いた一つの結論をお披露目します。

 

一言で言えば、中二病とは「自己防衛」です。

心理学や哲学?の分野でどういう扱いになっているのかは知りませんが、今のところ私はそう思っています。

 

中二病にも色々あると思いますが、私の場合はベースに「世の中くだらない」という思想があります。この「くだらない」は破壊力抜群です。世界がくだらないのなら、日々世界で起こっていることもくだらない。なら当然、世界の一部である自分やその周りで起こる出来事もくだらない。くだらないのであれば、いちいち気に留める必要はない。これで完璧です。鉄壁の守りです。

いやこれ本当に、真に世界をくだらないと思っているとマジで完璧だと思います。不幸になんてなり得ません。

「世の中くだらねーー!!!!」とかいうレベルではなく、「え?くだらなくない?大丈夫?頭おかしくなっちゃったの?」くらいになってくると本当に堅牢な壁です。

 

しかし、光があるところには影もあります。

なんせこの壁は硬すぎて、何人たりとも踏み込むことを許しません。つまり、深い人間関係を構築することはできません。物理的に不可能、と言っても過言ではないでしょう。そしてそれは、幸せになれない、と同義だと思います。映画Into the Wildから引用しますと、

幸福が現実となるのは、それを誰かとわかちあったときだ

そういうことです。

まとめると、中二病とは最強の壁であり、真に中二病であり続ける限り心が傷付くことはない。しかし同時に、幸せを感じることもない。

言い換えれば、不幸にならない代わりに幸せにもなれない。それが中二病

中二病でも恋がしたい!!なんて言っていられるうちはまだまだ中二病の深みにハマってないから全然大丈夫だ!!

 

p.s.

中二という時期になんでみんな揃ってこういう心理状態になるのでしょうか?何に代えてもアイデンティティを守りぬかなきゃいけないお年頃なんですかね?知らんけど